古典芸能の楽しみ方

「難しい」「敷居が高い」と言われる古典芸能も鑑賞するポイントが分かれば面白みも出てきます。そんな見どころなどをご紹介します。

實川延若という役者

本日5月14日は、今から31年前に信楽高原鐵道列車衝突ん事故が起きた日です。
42名の方が亡くなる大惨事となった事故でしたが、実は同じ日に上方歌舞伎の重鎮が、ひっそりと亡くなっていました。
それが三代目實川延若丈です。

1921年(大正10年)に、二代目實川延若の長男として大阪に生まれた三代目は、1927年(昭和2年)中座で初舞台。
1934年(昭和9年)に、二代目實川延二郎を襲名して本格的に歌舞伎役者としてのキャリアをスタートさせますが、戦後は関西の歌舞伎界が衰退したため、活躍の場を東京に移します。

そして満を持して、1963年(昭和38年)3月、歌舞伎座で三代目實川延若を襲名。
以後は、立役から老役、敵役、老女形と何でもこなす名バイプレーヤーとして活躍しました。

しかし実子がおらず、弟子にも有力な役者がいなかったなど、生前から後継者問題に悩まされた他、晩年は体調不良で舞台に立つ機会も減り、次第に忘れ去られて行く中での死去でした。

この日は、先に書きました信楽高原鐵道列車衝突事故の他に、横綱 千代の富士の引退発表など大きなニュースが相次いだため、訃報の記事は新聞の訃報欄の片隅に載るだけという、そのキャリアに比して、あまりに寂しいものとなりました。

それから31年。實川延若の名前を四代目として襲名するという動きはありません。
というのも、三代目が遺言で實川延若の名前を「止め名」とするよう言い残したからと言われています。

止め名」とは、その名跡を自分の代で終わらせるという意味で、古くは坂田藤十郎名跡が、あまりに伝説化したために江戸時代以降、事実上の「止め名」となっていました。
その後、平成の世になった2005年(平成17年)、すでに人間国宝となっていた三代目中村鴈治郎丈が満を持して四代目を襲名したことで復活しました。

今回の延若丈の名跡は「遺言」という形で「止め名」となったということもあり、ご遺族の意向などもしっかり伺いながら協議しないと、なかなか四代目を誰かが襲名というわけにはいかないでしょう。

個人的には坂東竹三郎丈の芸養子だった坂東薪車丈辺りがいつか襲名すればと思ったりしていましたが、薪車丈がトラブルの末に市川海老蔵丈の預かりとなってしまったため、それも叶わぬこととなりました。

上方歌舞伎の苦戦が続く中、この大名跡は果たして現れるのでしょうか?