歌舞伎の「曽我物」の特徴
6月12日放送の「鎌倉殿の13人」では、日本史上にその名を残す「曾我兄弟の仇討ち」が描かれました。
その真相が、如何なるものだったのかは、歴史の彼方を正確に見通す術がない以上、いろんな解釈が出来ますが、個人的には、三谷幸喜氏の構成は見事だったと思います。
さて、そんな「曾我兄弟の仇討ち」ですが、歌舞伎の世界ではかなりメジャーなテーマの一つで、「曾我物」というジャンルを表す言葉があるくらいです。
この「曾我物」ですが、実はどの演目にも共通する特徴があります(「曾我兄弟が出る」とかは論外ですよ)。
実は、肝心の「仇討ち」の場面が決して描かれないのです。
「曾我物」には、「寿曾我対面」「外郎売」「矢の根」など、実際に兄弟の仇討ちを主題にしたものや、「助六由縁江戸桜」のように主人公が実は曾我五郎という、本題の仇討ちがあまり関係なくなってしまっている演目まで、数多くあります。
しかし、これらの演目は、どれをとっても肝心の「仇討ち」の場面が描かれません。
同じ「仇討ち」をテーマにした「仮名手本忠臣蔵」や「伊賀越道中双六」では、なかなか演じられる機会が少ないですが、最後に「仇討ち」の場面が必ずあります。
ところが「曾我物」だけは、なぜか肝心の工藤祐経を討つ場面が登場する演目が一切ないのです。
なぜ「仇討ち」の場面がないのか、その理由は実のところはっきりしていません。
ただ、「曽我物」は江戸時代から正月の演目として上演されることが多かったようです。
実際、ほとんどの「曾我物」は、まるで「儀式」のように演じられることがほとんどです。
ひょっとすると、いくら「仇討ち」が主題とは言え、正月早々、人を殺す場面を演じるのはどうか、という考えが当時の役者や作家の中にあったのかもしれません。
また「仮名手本忠臣蔵」や「伊賀越道中双六」と比べると、曾我兄弟の仇討ちの話は江戸時代の人から見れば400年以上前の出来事なので、明確に「仇討ち」の場面が無くても、あまり違和感を感じなかったのかもしれません。
まあ理由はどうあれ、大河ドラマの源頼朝の「末代までも語り継ごう」という言葉通り、800年以上たってもその名が語り継がれたのですから、曾我兄弟としては「仇討ちのし甲斐があった」というものではないでしょうか。