古典芸能の楽しみ方

「難しい」「敷居が高い」と言われる古典芸能も鑑賞するポイントが分かれば面白みも出てきます。そんな見どころなどをご紹介します。

役者と俳句

本日5月16日は、かの「俳聖」松尾芭蕉が「奥の細道」の舞台となった東北・北陸への旅に出発した日だそうです。

 

近頃は「プレバト」などの番組の影響もあって、俳句人気がまた盛り上がってきていますが、その昔、歌舞伎界でも俳句は役者の嗜みの一つだったそうです。

その証が今日に伝わっている役者の名跡のいくつかが、実は歌舞伎役者の俳名から来ているという事実です。

 

例えば、当代の尾上菊五郎丈の父君が名乗られた「尾上梅幸」の名跡ですが、これは初代の菊五郎丈の俳名から来ています。

もっとも役者の名跡として実際に「梅幸」の名前を襲名したのは、三代目の菊五郎丈からだそうです。

また当代で四代目となる「尾上松緑」の名跡も、元は初代が使っていた俳名をそのまま名跡にしたのが始まりです。

 

他にも、現在で八代目となる「中村芝翫」と四代目を数える「梅玉」も、三代目の中村歌右衛門丈がある時から自身の俳名を芸名として使い始めたのが始まりとされています。

ちなみに当代の梅玉丈の弟である魁春丈の名跡も、養父である六代目の歌右衛門丈の俳名を頂いたものです。

 

新しいところでは「市川猿翁」の名跡が、元々は二代目の市川猿之助丈が自身の俳名を隠居名として使ったのが始まりだったり、「松本白鸚」が八代目 松本幸四郎の俳名に由来したりと、歌舞伎役者と俳句は結構切っても切れない関係だったりするのです。

 

とはいえ、最近は俳句を嗜む役者さんもあまりいなくなったようで、当代の松本白鸚丈が「錦升」という俳名で創作活動をしている他は、片岡我當丈の「壽蘭」があるくらいです。

(ちなみに「我當」という名跡自体が俳名由来とも言われていますが、初代以前の関係者で「我當」を俳名とした人物が見当たらないので、真相は不明です)

 

歌舞伎の演目にも俳句と縁のある作品もあることですし、当代の幸四郎丈や菊之助丈、猿之助丈あたりが挑戦してくれると盛り上がるように思うのですが・・・