古典芸能の楽しみ方

「難しい」「敷居が高い」と言われる古典芸能も鑑賞するポイントが分かれば面白みも出てきます。そんな見どころなどをご紹介します。

高麗屋から目が離せない!

昨日、大阪市内で、大阪松竹座「七月大歌舞伎」の取材会が開催され、松本幸四郎丈が熱くPRしていかれたようです。

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歌舞伎の話題もさることながら、先日まで出演していたTVドラマの件で大盛り上がりだったようですが・・・

 

思えば、ご子息の染五郎丈も、つい先日まで大河ドラマ「鎌倉殿の13人」に出演して、ずいぶん話題になっていましたが、元々「高麗屋」の人々は、歌舞伎以外の場での活躍が結構目立つ家でもあります。

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高麗屋」のメディア進出は、古くは八代目 松本幸四郎丈の東宝移籍(1961年)に遡ります。

この時、八代目は、後の九代目 幸四郎丈(現:白鸚丈)と先年亡くなった二代目 中村吉右衛門丈の二人の子息を連れて、東宝で活動していた劇作家の菊田一夫氏に誘われて、歌舞伎を興行する松竹を離れるという、当時としてはセンセーショナルな「事件」を起こします。

これは、戦後の娯楽の多様化で歌舞伎に凋落の兆しが見える中、舞台だけでなく映画でも勢いのある東宝に移籍することで活路を見出そうとした八代目の狙いもあったようです。

 

結果として、この移籍は上手くいかず、1971年(昭和46年)に親子そろって松竹に復帰することになりますが、この時の経験は、特に当代の白鸚丈には影響を与えたように私は思います。

八代目は、松竹座移籍当時から映画には出ていましたが、移籍後はTVドラマにも出演するようになります。

代表作は「鬼平犯科帳」の長谷川平三役で、基本的には東宝時代に出演した太平洋戦争もの以外は、現代劇ドラマなどには出演しませんでした。

しかし、子息である当代の白鸚丈は、ご存じの通り歌舞伎のみならず、映画・TVにも活躍の場を広げ、さらには同じ舞台ジャンルとは言え、ミュージカルにも挑戦。

代表作となった「ラ・マンチャの男」は、上演通算1,100回を越えるなど、歌舞伎におけるライフワークでもある「勧進帳」の1,000回を越える記録を達成しています。

 

そして、その子息である当代の幸四郎丈もまた、若い頃から歌舞伎だけでなく、映画やTVドラマでも活躍。

本職の歌舞伎においても、新作歌舞伎や絶えて久しい演目の復活上演に取り組んだかと思えば、劇団☆新感線への積極的な客演など、その勢いはとどまるところを知りません。

以前、インタビューで「とにかく歌舞伎が好き。芸事が好き」と語っていた屈指の芸能好きだけに、これからも枠にとらわれない活躍を見せてくれることでしょう。

 

そして、そんな父親の背中を見て育った当代の染五郎丈もまた、これから様々な活躍を見せてくれることと期待して止みません。