古典芸能の楽しみ方

「難しい」「敷居が高い」と言われる古典芸能も鑑賞するポイントが分かれば面白みも出てきます。そんな見どころなどをご紹介します。

役者と老いについて考える

先日、片岡仁左衛門丈が休演のニュースを紹介しましたが、ここであらためて考えさせられたのが、役者と老いの問題です。

 

舞台に立つと颯爽と見える仁左衛門丈も78歳。そして若い頃に「孝玉コンビ」で鳴らした坂東玉三郎丈も72歳。

いかな名優といえど、やはり寄る年波には勝てないのは非常な現実で、特に動きの激しい演目では、大幅な「手抜き」が行われることもあります。

 

例えば、2018年(平成30年)5月に歌舞伎座「團菊祭五月大歌舞伎」で上演された「弁天娘女男白浪」(通し狂言になっているので本来なら「青砥稿花紅彩画」なのですが、観客が分かりやすいようこの外題にしたようです)では、「極楽寺屋根立腹の場」で弁天小僧菊之助の大立ち回りが見せ場なのですが、これが若いころと比べると立ち回りの分量も時間も明らかに短くなっていました。

この年、菊五郎丈は76歳なので、さすがに若い頃と同じだけ舞台狭しと暴れまわるのは難しかったのでしょうが、「いい時」を見てしまうと、どうしても物足りなさを感じてしまうものです。

 

他にも、2015年(平成27年)1月の大阪松竹座で賑々しく開演した「寿初春大歌舞伎」では、四代目を襲名した中村鴈治郎丈のための「廓文章 吉田屋」で、なんと夕霧を務めた父親の坂田藤十郎丈が、序盤のセリフをまるまる忘れてしまうという大失態を演じています。

この現場は、私も直接観劇していて、当日のNHKの新春特番がどうなるのやらと心配でしたが、この場面を大幅カットでなんとか乗り切っていたのを今でも記憶しています。

藤十郎丈は、この時83歳。確かにけっこうな高齢でしたが、夕霧役は美しい所作が見せ場ですし、なによりも若かりし扇雀時代から、藤屋伊左衛門役ともども、いやというほど演じてきた役で、よもやセリフが飛ぶとは思いもしなかっただけに、驚きもさることながら寂しさを感じたものです。

 

そして、この正月、もっとも衝撃を受けたのが大阪松竹座の「坂東玉三郎 初春特別舞踊公演」です。

先に書いた通り、御年72歳の玉三郎丈ですが、「藤娘」で依然としてその美しさは変わらないなあと感心して観ていたところ、衣装替えで舞台袖にはける瞬間、着物の裾を踏んだのか、雷が落ちたような大音響とともに舞台袖に倒れ込んでしまったのです。

倒れ込みながら舞台袖に隠れたので、倒れた瞬間を観客に見せなかったのはさすがと思いましたが、それでも伴奏の長唄が一瞬聞こえなくなるほどの音を立てたのですから、何が起こったのか観客もすぐに気づきました。

客席後方で観劇していたらしい劇場関係者が慌ただしく客席を飛び出していったので、一時はどうなるかと思われましたが、さすが玉三郎丈というべきか、すこし時間がかかったものの次の衣装に着替えると何事もなかったように再び舞台上に姿を現して舞を続けたのでした。

それにしても、若かりし頃より「天才女形」の名を欲しいままにしてきた玉三郎丈のよもやの転倒は、やはりひと昔前ではあり得ないことだけに、私の中で少なからず衝撃的な出来事でした。

 

とまあ、私が経験してきただけでも、このように様々な形で「老い」がもたらす影響を鑑みると、やはり「役者は一生現役」というのは難しい話で、どこかで引き際を考えることが、当人の名誉を守るためにも必要ではないかと思う次第です。