古典芸能の楽しみ方

「難しい」「敷居が高い」と言われる古典芸能も鑑賞するポイントが分かれば面白みも出てきます。そんな見どころなどをご紹介します。

仁左衛門丈が帰ってくる!

帯状疱疹歌舞伎座「六月大歌舞伎」を休演されていた片岡仁左衛門丈が、無事に大阪松竹座「七月大歌舞伎」から復帰されるそうです。

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ここ数年で、坂田藤十郎丈、片岡秀太郎丈と立て続けに大御所が他界。さらには先日の坂東竹三郎丈の訃報と、上方歌舞伎にとっては大きな損失が続いていただけに、仁左衛門丈の復帰はめでたい限りです。

 

今回の「七月大歌舞伎」は、仁左衛門丈や成駒家の面々だけでなく、この「七月大歌舞伎」の生みの親とも言える、十八代目 中村勘三郎丈の二人の子息、中村勘九郎丈と七之助丈も参加するほか、ここ数年出演が続いている松本幸四郎丈も参加します。

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ここで個人的にずっと気になっているのが、片岡愛之助丈がかれこれ10年近く、この「七月大歌舞伎」に出演していないことです。

見たところ、7月は歌舞伎座の方にも出演していないので、別の仕事でも入ったのか、はたまた休暇をもらったのか。

しかし、大阪松竹座の「七月大歌舞伎」は、関西・歌舞伎を愛する会という関西の歌舞伎ファン有志が亡き勘三郎丈やすっかり舞台から遠ざかって久しい澤村藤十郎丈たちと「関西の歌舞伎の灯を絶やさない」ことを目的に始めた公演。

まして、今回は節目となる30回目の公演だけに、常々「大阪の役者」を公言している愛之助丈が今回も出ないというのは、正直ちょっと腑に落ちません。

 

そんなことを言っていたら、こんな公演情報が・・・

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いや・・・、貞子歌舞伎・・・!?

また、どえらいものを考え付いたものですが・・・

まあ、この公演については、詳細が分かってきたら、あらためて取り上げようと思いますが。

 

しかし、愛之助丈・・・、どうにも腑に落ちん・・・

祝!中村梅玉丈 「六月大歌舞伎」に復帰

6月17日から体調不良で「六月大歌舞伎」を休演されていた中村梅玉丈が、昨日21日から復帰されたそうです。

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これまた急な知らせでしたので、どうなることやらと思いましたが、大事には至らず舞台に復帰ということで、まずはめでたいことです。

昨日は、坂東竹三郎丈の訃報がありましただけに、こうしてベテランの役者さんが無事に復帰されるのは、歌舞伎界にとってもひと安心というところでしょう。

 

そう言えば、先日はTBS「世界ふしぎ発見!」に、養子となられた中村莟玉丈が、ミステリーハンターとして出演されていました。

大のパンダ好きとは知りませんでしたが、親しみやすい人柄がよく出ていて、また若いファン層の開拓に一役買ってくれることを期待したいですね。

 

梅玉丈は、弟の魁春丈と一緒に、先代の中村歌右衛門丈の養子になったという珍しい経歴の方ですが、歌舞伎役者としては、とても堅実に役を務める印象があります。

これは、意地の悪い言い方をすれば「地味」とも言えますが、誰も彼もが海老蔵丈や幸四郎丈たち大名跡クラスの役者の様に目立ってしまっては、芝居全体に締まりが無くなってしまいます。

また、同年代で活躍している役者さんが菊五郎丈や仁左衛門丈くらいになってきている昨今、梅玉丈は非常に貴重な存在ですので、これからも健康に留意しながら頑張っていただきたいものです。

訃報 坂東竹三郎丈 逝去

上方歌舞伎の「生き字引」とも言える大ベテランの坂東竹三郎丈が、亡くなられたとのニュースが流れました。

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こういう病気を患っていらっしゃったとは存じませんでしたし、来月の「関西・歌舞伎を愛する会 七月大歌舞伎」にもお名前を連ねていらっしゃったので、正直急なことに感じられてしまいます。

 

竹三郎丈の経歴は、様々な専門家や記事で紹介されるでしょうから、ここでは一々取り上げませんが、個人的には、毎年夏に国立文楽劇場で開催されていた自主公演「坂東竹三郎の会」のことが思い出されます。

2013年に傘寿の記念公演を最後に終えられた公演ですが、最後の公演では、片岡仁左衛門丈や市川猿之助丈ら、竹三郎丈を慕う大物俳優が客演で出演されて、大盛況の公演だったことを覚えています。

特に猿之助丈は「竹婆、竹婆」と慕っておられただけに、今回の訃報には享年89歳という年齢とは関係なく、落ち込んでいるかもしれません。

 

さて、上方歌舞伎に多大な功績を残された竹三郎丈ですが、実は「弟子に恵まれない」という一面がありました。

名の知られているところですと、現在、片岡愛之助丈の弟子として活躍中の片岡愛一朗丈ですが、元々は「坂東竹雪」という竹三郎丈の弟子だったことは、歌舞伎ファンなら大体知っている話です。

現在も女方として活躍されているのは、やはり竹三郎丈の下で稽古を積んだ賜物なんでしょうが、それが何故、愛之助丈の弟子になっているのか?

この辺りの経緯は、はっきりされることは無いですが、竹三郎丈の弟子を辞めた後、しばらく歌舞伎と距離を置いていたようです。

その後、縁あって愛之助丈の弟子となりますが、一度は歌舞伎をやめたものの、やはり歌舞伎を忘れられず、かと言って、竹三郎丈の元へノコノコ戻ることも出来なかったので、愛之助丈に拾ってもらったというのが実情のようです。

それでも愛一朗丈となってから、竹三郎丈と同じ舞台に度々立ってきたので、そこまで険悪な関係で弟子を辞めたわけではないようです。

 

問題は、現在、海老蔵丈の弟子となっている市川九團次丈でしょう。

この方、かつては竹三郎丈の若い頃の名前「坂東薪車」を頂き、弟子ではなく芸養子という、かなり優遇された扱いを受けていたのですが、2014年に突然、芸養子の関係を解消されるという事件が起きます。

この件も、あまり詳しく経緯が語られませんが、どうも竹三郎丈に無断で、様々な芸能活動を始めようとしたらしく、それを咎められたところ出奔してしまったようです。

結局、すったもんだの末に海老蔵丈の預かりとなり、2015年(平成27年)に、市川宗家が預かる名跡の一つ「市川九團次」を四代目として襲名することになります。

とは言え、この一件は歌舞伎界に結構、尾を引いたようで、今も海老蔵丈が出ている舞台以外では、客演でもほとんど出演がありません。

他の役者からすれば、市川宗家が預かったので、それ以上余計なことは言わない、ということなんでしょうが、共演するかどうかは話は別、なんでしょうね。

 

そして2018年には、坂東竹之助丈が少年にわいせつ行為をした容疑で逮捕されてしまいます。

よりにもよって、初めての自主公演の直前の逮捕で、どうなることやらと思いましたが、正直に容疑を認めていたことと、その後の自主公演が無事に開催されたので、あまり大ごとにならなかったようです。

とは言え、後ろ盾であった竹三郎丈を失って、竹之助丈の今後がどうなるのか、上方の音羽屋の行く末は、なんとも前途多難なまま、名優は旅立っていかれました。

歌舞伎の「曽我物」の特徴

6月12日放送の「鎌倉殿の13人」では、日本史上にその名を残す「曾我兄弟の仇討ち」が描かれました。

その真相が、如何なるものだったのかは、歴史の彼方を正確に見通す術がない以上、いろんな解釈が出来ますが、個人的には、三谷幸喜氏の構成は見事だったと思います。

 

さて、そんな「曾我兄弟の仇討ち」ですが、歌舞伎の世界ではかなりメジャーなテーマの一つで、「曾我物」というジャンルを表す言葉があるくらいです。

この「曾我物」ですが、実はどの演目にも共通する特徴があります(「曾我兄弟が出る」とかは論外ですよ)。

実は、肝心の「仇討ち」の場面が決して描かれないのです。

「曾我物」には、「寿曾我対面」「外郎売」「矢の根」など、実際に兄弟の仇討ちを主題にしたものや、「助六由縁江戸桜」のように主人公が実は曾我五郎という、本題の仇討ちがあまり関係なくなってしまっている演目まで、数多くあります。

しかし、これらの演目は、どれをとっても肝心の「仇討ち」の場面が描かれません。

 

同じ「仇討ち」をテーマにした「仮名手本忠臣蔵」や「伊賀越道中双六」では、なかなか演じられる機会が少ないですが、最後に「仇討ち」の場面が必ずあります。

ところが「曾我物」だけは、なぜか肝心の工藤祐経を討つ場面が登場する演目が一切ないのです。

なぜ「仇討ち」の場面がないのか、その理由は実のところはっきりしていません。

ただ、「曽我物」は江戸時代から正月の演目として上演されることが多かったようです。

実際、ほとんどの「曾我物」は、まるで「儀式」のように演じられることがほとんどです。

ひょっとすると、いくら「仇討ち」が主題とは言え、正月早々、人を殺す場面を演じるのはどうか、という考えが当時の役者や作家の中にあったのかもしれません。

また「仮名手本忠臣蔵」や「伊賀越道中双六」と比べると、曾我兄弟の仇討ちの話は江戸時代の人から見れば400年以上前の出来事なので、明確に「仇討ち」の場面が無くても、あまり違和感を感じなかったのかもしれません。

 

まあ理由はどうあれ、大河ドラマ源頼朝の「末代までも語り継ごう」という言葉通り、800年以上たってもその名が語り継がれたのですから、曾我兄弟としては「仇討ちのし甲斐があった」というものではないでしょうか。

 

高麗屋から目が離せない!

昨日、大阪市内で、大阪松竹座「七月大歌舞伎」の取材会が開催され、松本幸四郎丈が熱くPRしていかれたようです。

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歌舞伎の話題もさることながら、先日まで出演していたTVドラマの件で大盛り上がりだったようですが・・・

 

思えば、ご子息の染五郎丈も、つい先日まで大河ドラマ「鎌倉殿の13人」に出演して、ずいぶん話題になっていましたが、元々「高麗屋」の人々は、歌舞伎以外の場での活躍が結構目立つ家でもあります。

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高麗屋」のメディア進出は、古くは八代目 松本幸四郎丈の東宝移籍(1961年)に遡ります。

この時、八代目は、後の九代目 幸四郎丈(現:白鸚丈)と先年亡くなった二代目 中村吉右衛門丈の二人の子息を連れて、東宝で活動していた劇作家の菊田一夫氏に誘われて、歌舞伎を興行する松竹を離れるという、当時としてはセンセーショナルな「事件」を起こします。

これは、戦後の娯楽の多様化で歌舞伎に凋落の兆しが見える中、舞台だけでなく映画でも勢いのある東宝に移籍することで活路を見出そうとした八代目の狙いもあったようです。

 

結果として、この移籍は上手くいかず、1971年(昭和46年)に親子そろって松竹に復帰することになりますが、この時の経験は、特に当代の白鸚丈には影響を与えたように私は思います。

八代目は、松竹座移籍当時から映画には出ていましたが、移籍後はTVドラマにも出演するようになります。

代表作は「鬼平犯科帳」の長谷川平三役で、基本的には東宝時代に出演した太平洋戦争もの以外は、現代劇ドラマなどには出演しませんでした。

しかし、子息である当代の白鸚丈は、ご存じの通り歌舞伎のみならず、映画・TVにも活躍の場を広げ、さらには同じ舞台ジャンルとは言え、ミュージカルにも挑戦。

代表作となった「ラ・マンチャの男」は、上演通算1,100回を越えるなど、歌舞伎におけるライフワークでもある「勧進帳」の1,000回を越える記録を達成しています。

 

そして、その子息である当代の幸四郎丈もまた、若い頃から歌舞伎だけでなく、映画やTVドラマでも活躍。

本職の歌舞伎においても、新作歌舞伎や絶えて久しい演目の復活上演に取り組んだかと思えば、劇団☆新感線への積極的な客演など、その勢いはとどまるところを知りません。

以前、インタビューで「とにかく歌舞伎が好き。芸事が好き」と語っていた屈指の芸能好きだけに、これからも枠にとらわれない活躍を見せてくれることでしょう。

 

そして、そんな父親の背中を見て育った当代の染五郎丈もまた、これから様々な活躍を見せてくれることと期待して止みません。

 

待ってました!成田屋!

遂に、「市川團十郎」の名跡が甦ります!

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2020年(令和2年)に行われる予定だった、十三代目 市川團十郎の襲名披露公演が、遂に今年11月から始まることが発表されました。

 

実に2年越しでの襲名実現で、歌舞伎界にとっては令和最大の公演になるのは間違いないでしょうね。

コロナ禍で予定が大幅に狂ってしまい、さらには色々と歌舞伎以外の話題がメディアで取り上げられたりと、海老蔵丈にとっても、新たに八代目 市川新之助を襲名する息子の勸玄くんにとっても、もやもやした期間が続いたことでしょうが、これでようやくひと区切りつけるというものです。

 

今のところは、11月と12月の歌舞伎座の公演のみが発表されているようですが、御父上である十二代目 團十郎上の襲名では3カ月連続で興業が行われたので、ひょっとすると来年1月の初春公演も襲名披露公演になる可能性は高いでしょう。

 

その後は、全国各地を巡業で周るわけですが、少なくとも6月は博多座の「六月博多座大歌舞伎」、7月は大阪松竹座の「七月大歌舞伎」が間違いなく襲名披露公演になると思われます。

また歌舞伎座5月恒例の「團菊祭」も当然、襲名披露公演になるでしょう。

そしておそらく最後は、12月京都南座の「吉例顔見世興行」が、襲名披露の締めくくりになると思われます。

 

いずれにしろ、他の役者の襲名披露公演とは、比べ物にならないくらい華やかな公演になるのは間違いない、今回の團十郎襲名披露公演。

今から年末が待ち遠しいですね。

「六月博多座大歌舞伎」間もなく開演

この6月3日(金)から福岡県にある博多座で「六月博多座大歌舞伎」が開演します。

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関西と違って、地方都市では歌舞伎の定期公演がなかなか催されない中、この博多座での公演は、名古屋の御園座での公演と並ぶ、地方での貴重な定期公演と言えます。

(「こんぴら歌舞伎」など例外はありますが)

その「六月博多座大歌舞伎」では、大阪松竹座の「七月大歌舞伎」と同じく開演の数日前に「船乗り込み」が催されているのですが、コロナ禍の影響で2019年を最後に中止が続いていました。

今年は、大阪松竹座の船乗り込みが復活するらしいという観測もある中、「博多座も久々にやるのでは?」との見方もありましたが、結局4月末の段階で中止が発表されました。

もし実施されていたら、博多キャナルシティから博多川を辿りながら博多座に乗り込むという華々しい船行列が見られただけに、残念なことです。

 

こうなったら大阪松竹座「七月大歌舞伎」の船乗り込みだけは、規模を縮小してでも実施してほしいものですね。